雑筆28 「怒り」について ②

政治家と官僚の本音は「国民に政治に関心を持ってもらいたくない」「国民には、自分は無力だと感じてもらいたい。」です。その方が自分たちの好き勝手にできます。投票率を上げたいなどとは思っていません。自民党の麻生氏は、「支持率なんかあてにならない」と述べています。投票率が低ければ、利権関係者と支援者だけの組織票で安定します。投票率が低ければ「駄目な政治をしても」国民のせいにできます。ほぼその目論見は成功しています。国民は、政治家と官僚とマスコミと政商の利権のコングロマリットに押しつぶされています。最近は司法や警察関係も不安です。国民は何を頼りすれば良いのでしょうか。

ChatGPTに、「歴史的に見て、社会の変革には、社会の不平等などへの怒りがある気がしますが、どうでしょうか。」と質問してみました。

「ChatGPT」 その通りです。歴史的に社会を変革してきた多くの人々や運動は、社会の不平等や不正義に対する怒りを感じて行動に移すことがありました。社会の変革や改善を求める動きは、しばしば怒りや不満から生まれることがあります。以下にいくつかの例を挙げてみましょう。

①  市民権運動: アメリカの市民権運動は、人種差別と不平等に対する怒りと抗議から生まれました。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやローザ・パークスなどの指導者たちは、社会的変革を実現するために非暴力抵抗や公民権運動を展開しました。

②  フェミニズム運動: フェミニズム運動は、女性の社会的地位や権利の不平等に対する怒りから始まりました。女性たちは、政治的・経済的な平等を求めて、様々な運動や活動を展開しました。

③  労働運動: 労働者たちは、過酷な労働条件や賃金の不平等に怒りを感じ、労働組合を結成し、ストライキやデモを通じて改善を求めました。

④  独立運動: 植民地支配に対する不平等や不正義に怒りを感じた人々が、独立運動を起こして国家の独立を実現しました。これにより、新しい国家が形成されることもありました。

これらの運動は、怒りをエネルギーに変え、社会的な変化や改善を実現するための力になりました。ただし、怒りが建設的な方法で表現されるか、暴力や混乱を引き起こすかは、その後の結果に影響を与える要素です。怒りを適切にコントロールし、対話と行動を組み合わせることで、社会的な変革を実現することが可能です。

「ChatGPT」過去の革命や大規模な社会運動は、民衆の怒りや不満が原動力となってきた例が多く存在します。これらの運動は、社会的な変革や政治的な権利の向上を目指しており、怒りがその背後にある要因の一つとされています。以下にいくつかの歴史的な例を挙げてみます。

①  フランス革命: 18世紀末のフランス革命は、経済的・社会的な不平等や封建的な体制に対する怒りが原動力となりました。民衆は政治的権利と平等を求め、王政を転覆し、新しい政治体制を築きました。

②  アメリカ独立戦争: アメリカ独立戦争は、植民地の住民がイギリスの統治に対する怒りと不満から生まれました。課税や植民地への干渉に反対し、独立と自己決定権を求めて戦争を起こしました。

③  アフリカ民族主義運動: 20世紀におけるアフリカの民族主義運動は、植民地支配に対する怒りと不満から発展しました。アフリカ諸国の人々は、独立と自己決定権を求めて運動を展開しました。

④  アラブの春: 2010年代のアラブの春運動は、独裁政権や経済的困難に対する怒りから発展しました。民衆は自由や民主主義、人権の尊重を求めて、抗議やデモを行いました。

⑤  ベルリンの壁崩壊: 東西冷戦から国家を分断された東ドイツ西ドイツは、1898年11月9日の夜、それまで東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令「只今をもって東ドイツの国民は自分の好きな所へ旅行しても良くなった」を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことで、その日の夜にベルリン市民が殺到し、ベルリンの壁が崩され、東西ドイツの国境が開かれました。こうして、28年間存在し続けた「越えられないもの、変えられないもの」の象徴だった155キロの巨大な壁がついに崩壊しました。

これらの例からも分かるように、怒りや不満は社会の変革や政治的な運動の原動力となることがあります。しかし、怒りが暴力や混乱を引き起こす場合もあるため、怒りを建設的な方法で表現し、適切な行動を取ることが重要です。

日本の歴史を振り返ってみても、社会変革の原動力に「怒り」を感じます。

源平合戦: 平安時代末期。 絶大な権力を握っていた平清盛を打倒しようと、立ち上がった源氏と平家の戦い。1180~1185年、日本各地で繰り広げられ最後は山口県壇ノ浦で平家は滅亡します。「平家にあらずんば人にあらず」。平家一門のおごり高ぶりを象徴する平時忠の発言として有名です。源氏の平家に対する「怒り」があったはずです。

織田信長:「天下布武」は一見すると、武力を以て天下を取る。」 といった意味に捉えられていますが、「武」という言葉には「争いや戦いを止める」という意味があります。争いの無い泰平の世の中を創造したいと願って戦国の世を戦い、民の幸せを願い生き抜いていたのだとも読めます。天下泰平の世界を築くという強い意志の表れだったのではないかと言われています。ここからは勝手な想像ですが、例えば愛する人を戦いで失うなど、「戦国の世」を憎む強い怒りがあったからだと思っています。

明治維新: 幕末から明治時代初期の幕藩体制を打倒して、天皇を頂点とした中央集権統一国家を形成した近代革命です。始まりは、1864年、幕府は「第一次長州征討」を行いました。 幕府に反抗的であった長州藩を、禁門の変で弱っているのを機に、叩いてしまおうとしました。 征討には薩摩藩なども加わり、長州藩は降伏しています。その結果、長州と薩摩は犬猿の仲になりました。1866年、再び幕府は長州へと兵を送り、「第二次長州征伐」が勃発。幕府軍は約15万人、長州軍は約1+万人と、人数では圧倒的に長州軍が不利な状況でした。しかし、薩長同盟を締結した薩摩藩から西洋式の軍備や軍制、戦術を取り入れてきた長州軍は各所で健闘。そして、もっとも大きな戦いとなった「小倉口の戦い」のさなか、大坂城に出陣中の14代将軍「徳川家茂」が亡くなり、これをきっかけにして幕府軍は総崩れになってしまいます。最終的には休戦となりましたが、幕府軍の大敗は明白で、幕府の求心力はますます低下しました。この結果が明治維新に繋がりました。諸藩の幕府への怒りの発端は、関ヶ原の戦後処理において、家康は東国安定のため外様大名たちを西国に押し込めたことです。260余年もの後に「薩長土肥」と呼ばれた雄藩は反旗を翻し、幕府を崩壊させました。とくに長州藩には、石高が4分の1にまで減封された長年にわたって募らせた恨みがあります。毛利家(長州)の新年の毎年の拝賀において、「今年の倒幕の機はいかに?」と問う家老に対し、藩主が「時期尚早」と答える習わしがあったとの逸話があります。

平家も幕藩体制も、当時は弱体化していたとはいえ、多くの人は盤石の政権だったと思っていたはずです。信長以外には誰も戦国の世を終わらそうなどと考えていなかったはずです。

「ChatGPT」 革命の原動力としての怒り以外にも、さまざまな要因が影響を与えることがあります。革命は複雑な現象であり、その背後には複数の要因が絡み合っています。以下に、怒り以外の革命の原動力として考えられる要因をいくつか挙げてみましょう。

①  経済的不平等と困難: 経済的な不平等や貧困、失業などが社会に広がると、人々は生存や生活条件の向上を求めて行動する動機づけとなります。

②  政治的抑圧と権力の集中: 政治的な抑圧や独裁体制が存在する場合、人々は政治的な自由や参加を求めて革命を起こすことがあります。

③  宗教や民族的な対立: 宗教的な対立や民族的な紛争が社会を覆う場合、これに対抗するための運動が発展することがあります。

④  教育と意識の高まり: 教育の普及や意識の高まりによって、人々が自身の権利や政治的な影響を求める動機が強まることがあります。

⑤  情報革命とコミュニケーション技術: 近年では情報革命やインターネットなどのコミュニケーション技術が進化し、情報が広く共有されるため、人々は不満や要求を迅速に発信し、共感を集めることが可能です。

⑥  外部からの影響: 他国や外部勢力からの支援や介入が、革命や反政府運動の原動力となることがあります。

これらの要因は単独でなく、しばしば相互に影響し合って革命を引き起こすことがあります。怒りはその中でも強力な動機づけの要因の一つであると同時に、経済的、政治的、文化的な背景も重要な役割を果たすことがあります。

今の日本の状況に当てはまるものは多いと思います。

政治においては、一人一人の庶民の意見は無力かもしれませんが「多数意見は少数意見から始まる」との言葉もあります。最初は、小さな「怒り」でも、波紋のように世の中に広がる可能性があります。静かな水面に落ちた一粒の水滴が、いく重にも輪を描いて広がつていきます。 それが次々と周囲に動揺を伝えていくように影響します。ネットの意見を読むと、国民の怒りの一滴が、世の中に広がっていくのを感じています。

バタフライエフェクト」という、カオス理論の概念があります。名前の由来は、「ブラジルで蝶が羽ばたくことがテキサスで竜巻を引き起こす可能性がある」からです。この概念は、複雑なシステムや過程において、微小な変化がその後の状態や出来事に非常に大きな影響を与えることを意味します。たとえば、風の微妙な変化が、数日後には遠く離れた場所で大きな気象変動を引き起こすことがあると言われています。分かりやすく言えば、バタフライエフェクトは「小さな出来事が大きな影響を及ぼす可能性があること」を指します。革命などでは、最初は、一人一人の庶民の小さな怒りでも、それが大きな変化を生み出す要因になる可能性があるということです。

平家物語」は、鎌倉時代に成立したとされる軍記物語です。平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれています。冒頭の一節が特に有名です。「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」。そこから「驕る平家は久しからず」のことわざも生まれています。もし後世に「令和物語」が書かれたのならば、同じような書き出しになることを願っています。

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