歌に救われて LM60

自粛期間中、滅入った時には、お笑や歌に救われました。自粛で活動できない多くの芸人やミュージシャンがYouTubeにコントや歌をアップしてくれています。自粛中でなければ見ることができなかったと考えれば、良いこともありました。振り返れば人生の中で何回も歌に勇気をもらっています。自粛で昔を思い返すことも増えました。特に心の残っている歌を思い出したりしています。
① 自粛中、何度も聞いたのは、URUさんと高橋ちさ子さん達の「負けないで」の演奏と宝塚のOG19名による「青い星の上で」です。この曲は今回初めて知りました。今の時期にめちゃくちゃ心に刺さる歌詞です。特に「恐れずに信じよう。きっと僕らの時が来る」の歌詞はジンときます。希望が貰えます。歌っている人たちの優しさと世の中の人を元気づけようとする気持ちが伝わってきます。皆さん知りませんでしたので検索しました。宝塚のころの写真はお化粧がばっちりですので、今の顔と違います。僕は今の方が断然好きです。魅力的です。宝塚歌劇を見に行くのは躊躇しますが、OG19名のコンサートなら行けます。是非。
② 会社を辞めて独立を考えていた時は、心が揺れていまして。安定している会社を辞めることに不安はありました。僕の能力では、独立しない方がいいかもしれないと毎日毎時間毎分迷っていました。自信も無かったです。そんな時にTOKIOの「宙船」がヒットしていました。レコード店で何回も視聴しました。「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ。おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」の歌詞には胸が詰まりました。自分の人生は自分で決めようと思いました。この歌詞に背中を押してもらって独立したように思います。当然CDは買いました。
③ 僕の中では最高の歌手は尾崎豊です。どうでもいい情報ですが、好きな女性歌手は山口百恵さん、本田美奈子さんです。尾崎豊の曲を初めて聞いたのは、「17歳の地図」がカーラジオから何気なく流れて来た時です。名前も知りませんでしたが、初めて曲を聞いた時には衝撃が走りました。そんな経験はその時だけです。名前を憶えて当時はまだ沢山あったレンタルレコード店にすぐに借りに行きました。ファースト・アルバムの「17歳の地図」は今でも一番好きなアルバムです。それから出たアルバムは全て買いました。今でも尾崎豊の全CDとDVDと写真集と著書は大切に持っています。社会人になって最初に富山で仕事をしていた頃、慣れない土地と仕事に悩み、落ち込む時もありました。そんな時は「僕が僕であるために」を聞いて元気を出していました。英題は「MY SONG」です。「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない。正しいものは何なのか、それがこの胸に解るまで」この曲で頑張ろうと自分を励ましていました。いまでも落ち込んだ時は無性に尾崎豊の曲が聞きたくなります。 
僕が若いころは尾崎豊の曲を聴くことが出来るのは、たまに流れるラジオとCDだけでした。当時はテレビで歌番組は沢山やっていましたが尾崎豊はテレビに1回しか出ていません、今はYouTubeでいつでも尾崎豊の姿を見ることができます。もう亡くなって30年近くたちますが、ネットの中では今でも生きていて力をくれます。世界は一直線に良い方向には進んでいきませんが、それでも少しずつでも良い世界に進んでいると思えます。そんな世界に僕は何かを残せるのだろうかと。

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