年末気分 LM78

今年も後2か月余り。年のせいか年々時が早く経つのを感じていますが、今年はコロナ禍で特にあっという間でした。3月からはコロナで暇な時間と、その後のネット研修への対応の慌ただしさを経験しました。個人事業主ですから、いきなり小舟が海で暴風雨に遭遇したように翻弄されました。最近は少しは落ち着きましたが、まだまだ右往左往、試行錯誤の連続です。早く大波でも波乗りをしているサァファーのように、この状況を楽しめるようになりたいです。そろそろ来年の手帳を買います。年賀状印刷のDMが来ます。
年々、知り合いに出す年賀状の数が減っています。お世話になった先輩も定年後何年か経つと、「今年で年賀状は終わりとさせていただきます」の年賀状をもらうことが増えました。特に書くこともなくなったのでという気持ちは分かります。でもこうして社会との接触が減ってしまうのではないかと余計な心配をしています。定年後も何らかの活動をしている方とは継続して年賀状のやり取りはあります。自粛の3か月間、ほとんど仕事らしい仕事がなかったので、やることのない辛さは身に染みています。YouTubeで芸人さんを見て、僕と同じ境遇だと自分を慰めていました。仕事がある有難さを感じています。 
仕事への価値観が欧米とは違うと思っています。何かの本で読んだ知識ですから確信はないのですが、欧米の定年後の理想はハッピーリタイアメントです。定年後は悠々自適に、どこかのリゾート地で、のんびり日光浴でもしながら日々を過ごすのが理想のようです。旧約聖書では、人はかつてエデンの園に住んでいて、年を取ることもなければ、飢えることも悩むこともなく暮らしていたのに、神様の言いつけに背き林檎を食べたせいで罰を受け、エデンの園を放逐されました。そして人は年を取り、生きるために仕事をしなくてはならなくなりました。つまり労働は神様からの罰です。
古事記では、最高神の天照大神でさえ農業に携わっていますし機織りの監督もしています。天皇も毎年田植えや稲刈りをされています。働くことは当然の事であり、尊いことです。父は普通に「働かざる者食うべからず」と言っていました。若いころはうざかったでしたが、今では父の正しさが理解できます。禅の言葉に「一日なさざれば一日食らわざるなり」があります。一日何も有益なことをしなかったら、食事をとる資格はないという意味と僕は解釈しています。もしその教えを忠実に守ったら僕は餓死してしまいます。
日本は急激な人口減少社会になっています。そのための解決策として、まずは夫婦共稼ぎが推奨されました。次に定年延長が進められました。日本の労働力の不足を補うために、外国人の雇用が進められています。流れとしては定年制の廃止があります。企業と社会に価値を提供し続けられるのなら、働ける限り働くことは賛成です。僕は家で1日中テレビの前に座って過ごすよりは、社会と関わっていたいです。コロナのおかげで働くことができる喜びを改めて感じています。
 

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