今日から7月です。少し新たな気分になります。気分を変えてスポットのエッセイです。出張のついでにコンサルの友人と伊勢神宮に参拝に行ってきました。今年は伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮と、出雲大社の60年に一度の式年遷宮が重なる特別な年です。式年とは決まったサイクルの意味です。遷宮とは御宮様を移動することです。人の世のサイクルも60年サイクルと言われています。景気も60年で循環するという経済理論もあります。今年が景気上昇の元年であることを願っています。
伊勢神宮の起源ははっきりしていませんが、最古の記録には垂仁天皇26年(紀元前4年)に創建したとあります。確かな記録では、式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われました。その後120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、第62回式年遷宮まで、およそ1300年間続いています。
伊勢神宮は、京都の神社仏閣などと比べると地味で質素に見えます。弥生建築の殿舎の当時の最新の建築様式と最大の規模を今に伝えています。建設当時の国力・技術であれば、神宮も現在にも残る神社のような建物にすることは可能だと思われます。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は不明です。
ここからは外宮に一角にある「せんぐう館」で教えてもらった説明です。「伊勢神宮には125社のお社があり、遷宮では、内宮・外宮の二つの正宮の正殿、14の別宮の全てを造り替えます。この時に計65棟の殿舎なども造り替えられます。総費用5500億円になります。一万本以上のヒノキが必要です。木材は200年計画で育てています。遷宮の準備は、8年前から始められます。遷宮の時に解体された木材は、全国の神社に無償で配られます。20年に一度、遷宮を行うことで、技術と伝統と心が伝承されます。」
太い木材ですから、20年でダメになるとは思えません。合理主義や功利主義で考えれば無駄だと考えることもできます。しかし、式年遷宮により日本人として伝えられるものは数多くあります。こうしたこと一つ一つが日本の素晴らしさや価値につながっています。
■ 伊勢神宮の謎
ここからは、根拠が薄い俗説と私の空想ですので、面白半分で読んでください。自由な発想で古代を思いめぐらすのもロマンがあって楽しいです。
① 卑弥呼と天照大神の類似点
邪馬台国は中国の「魏志倭人伝」に書かれている2~3世紀に日本に存在したとされる国のひとつです。邪馬台国の女王が卑弥呼です。卑弥呼は天照大神だという説があります。当時の中国から見れば日本は辺境地の野蛮な国であり、良い漢字をあてるとは思えません。邪馬台国とは「大和の国」の当て字で、卑弥呼の本当の意味は「日の巫女」です。つまり天照大神になります。伊勢神宮の内宮は天照大神をお祭りしています。皇室の祖神です。
伊勢神宮の外宮は、豊受大紳宮です。豊受大神(とようけの大神)をお祭りしています。魏志倭人伝では、卑弥呼の後の女王は、台与(とよ)と書かれています。
② 千木(ちぎ)と鰹木(勝男木・かつおぎ)の謎
千木とは神社の屋根の両端にクロスに組まれている木のことです。通常はお祭りされている神様が男神だと先端が縦に切られ尖っており、女神だと横に切られています。鰹木は神社の屋根に並行しておかれた丸太です。鰹木の数は、奇数は陽数で男神・偶数は陰数で女神の社に見られます。
しかし伊勢神宮だけは例外とされています。内宮・外宮とも女神ですが、祭神の男女を問わず内宮は内削ぎ(横切り)で偶数の鰹木、外宮は外削ぎ(縦切り)で奇数の鰹木です。摂社・末社・所管社も同様になっています。この理由には外宮の祭神が本来男神的性格を帯びていたためとする説があります。
外宮は内宮創設500年後に、天照大神のお告げで「衣食住の面倒を見てもらうために豊受大神を連れてできてほしい」との願いで創設されました。豊受大神は衣食住の神様です。
卑弥呼は王位に就いて以来、人と会うことはなく、一人の男子(弟との説があります)が飲食の世話や取次ぎをしていたと伝えられています。
伊勢神宮の歴史をさかのぼると、邪馬台国にたどり着くかもしれません。全てのものは「連続性と関係性」があります。突然に現れたように見えて、必ず過去との繋がりがあります。伊勢神宮で感じた謎は、まだまだありますが、出来ればご自分で感じてみてください。
