不愉快なニュース107 石平 著「 敵は祖国・中国 祖国に裏切られ わが命、日本に捧ぐ(2025/3/27)」①

石平(せきへい):評論家。1962年、中国四川省成都生まれ。北京大学哲学部卒業。四川大学哲学部講師を経て、88年に来日。95年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関に勤務ののち、評論活動へ。2007年日本に帰化する。著書に『なぜ中国人は日本を憎むのか』『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書、第23回山本七平賞受賞)、『中国をつくった12人の悪党たち』(PHP新書)、『石平の裏読み三国志』(PHP研究所)、『私はなぜ「中国」を捨てたのか』『朝鮮通信使の真実』など多数。・石平の中国週刊ニュース解説。https://www.youtube.com/channel/UC9zwG9Q30cX20gWQorSVr3w
はじめに。私は帰化人でありながら、心から日本を愛し、日本のために頑張りたい一人と自認している。まず私たち帰化人は、「自分は果たして心から日本を愛しているのか。自分は果たして日本という国に忠誠を尽くすことができるのか」。このような自問と自己反省から始まり、常に自分自身を正して「真の日本人」になるように精進するのが、私たち帰化人の責務であり、歩むべき道であろう。

1章 私の無念─出馬を断念した本当のワケ。・「中国共産党の特異性を知らなければならない」。共産主義の特異性として人間よりも、共産党としての原則が「上」に位置しているという点があります。党の利益のためには人間性も捨てる。党のためなら何をやってもいい。逆に、そうしない人間は党に対する忠誠心が足りない。と批判され粛清されてしまいかねない。・「日本は中国と距離を置くべき」。文明の本質で言えば、日本と中韓はまったく「異質」と言っていいほどの違いがあります。日本は中国と距離を置いていた時代ほどよかったのです。日本の失敗は「中韓が同じ思想、同じ文明の持ち主」と誤解してしまったことにあります。・「ますます高まる中国の反日感情」。中国の反日感情は深刻な状況にあります。反日感情が衰えるどころか、ますます高まっています。共産党政権による宣伝や学校教育によって、日本に「負」のイメージを持つように仕向けられるからです。・「なぜ、日本維新の会だったのか」。私が日本維新の会を選んだ理由は、吉村洋文代表との出会いが大きかった。サンフランシスコ市が「慰安婦像」を設置受け入れたため、吉村氏は明言した通り、サンフランシスコ市との姉妹都市提携を「信頼関係を破壊した」として解消しました。私は一連の吉村氏の毅然とした姿勢、対応に感銘を受けました。・「スパイ説と帰化人出馬の是非にこたえる」。日本の木か制度に欠点があるのは否めません。特に次の2店を見直すべきです。1つ目は「帰化基準の厳格化」。日本の帰化基準が緩すぎる。2つ目は「議員になる場合、国籍の公開義務化」です。出自を隠すことは問題です。議員になる際には過去の国籍を公表する義務を課すべきです。・「人種差別に等しい発言がSNS上に」。来日して30年以上、私自身、日本人の精神を身に着けたと自負しています。国政への挑戦も本気で日本の将来のために戦う気持ちから出てきたものです。・「先鋭化するネットリンチ。果たして本当に日本人か」。帰化人の存在を根底から否定するような極端な人種差別発言をする人々が、本当に日本人なのかと疑問も感じています。

2章 私の半生〈1〉─「文化大革命」と「天安門事件」という二つの嵐に巻き込まれ。・「心に焼き付く故郷の美しき情勢」。石家は代々、中国中西部に位置する四川盆地の一族です。父は四川師範大学で物理学の副教授、母も同じ大学の講師でした。1966年、毛沢東が主導した文化大革命が始まり、多くの知識人が紅衛兵らによって、つるし上げられ殴り殺されました。父は大学から追放され「下放」の名のもとに、集団農場に活かされ、母も同じ処分になり、夫婦が別々にされてしまったのです。私は当時4歳でした。四川省の田舎にある母方の祖父母の家に預けられることになりました。・「ウソの協議に毒される子供たち」。当時、「文革」に対して批判めいたことを口にし、それが漏れてしまうようなことになれば「反革命分子」と決めつけられ、たちどころに社会から葬り去られてしまいます。小学校は人民公社の中にありました。各教室には毛沢東の肖像画が飾ってありました。毎朝私たちは起立して「偉大な領袖毛沢東」の肖像に向かって3度の礼をする。そして先生が主導して「毛語録」の一節を唱える。そこからやっと授業が始まります。私たちが約束するときも「毛主席に保証する」と言い合う。絶対に約束を破ることができません。そうやって先生に良い子だと認められると、共産党の少年組織である「少年先鋒隊」に入れる。私は小学校高学年になりやっと入ることができました。・「毛沢東の忠実な戦士を作る中学校」。私の中学は、成都市の「思想教育の重点模範校」に指定されており「毛沢東思想の徹底した教育により、毛主席の忠実な戦士を作ること」を基本方針としていました。いまから考えてみれば、この学校のやっていることは、まさに毛沢東を「教祖様」とする熱狂的な新興宗教のやり方そのものだったのです。・「地獄が現実と化した文化大革命」。1996年、中国共産党により出版された「文化革命簡史」には次のように書いてあります。「1966年に発生した文化大革命は、まるで突然襲来した台風のように中国の大地を席巻し、中国人民を10年余りの長きにわたる大災禍の中に導いた。私設の裁判が行われ、拷問による自白の強要、勝手気ままな逮捕、違法な拘束、捜査、虐殺がごく当たり前の現象となり、人々の生命、財産は保証されなくなり、自殺と家族の離散に追い込まれた人も多くいた。程度の差こそあれ、少なくとも1億人以上の国民が何らかの政治的迫害を受けただろう」。・「毛沢東死去の衝撃」。毛沢東が1976年9月9日、死去しました。83歳。それを聞いた瞬間、私は号泣しました。当時の毛沢東は、全知全能の神以上の存在。人民のために尽くしてくれる偉大な指導者だと信じ込んでいました。全中国の人民が共産党の宣伝や教育によって洗脳されていました。・「暴かれた毛沢東政治の内幕」。真実の暴露によって、毛沢東は、自分の権力を守ることに執念を燃やし、そのためにはどのような悪事でも平気でやり通す権力亡者ということが明らかになりました。毛沢東から疑いの目で見られたりすれば、本人とその家族を待っているのは死のみであることは、共産党内部では周知の秘密でした、・「民主化運動に熱中した輝かしき黄金時代」。その死去までの27年間、この史上最悪の変態権力者を「人民の偉大な領袖」としていただいた中華人民共和国とは一体感だったのか。この問題を煎じ詰めて考えていくと、結局、中国共産党の一党支配の政治体制そのものが、問題の根源であることに気づいたのです。だとすれば、国家と人民が2度と生き地獄に陥ることがないようにするためにも、一党独裁の政治体制を打破し、国家の法制を整備して、人民に民主主義的権利を与えなければなりません。天安門事件に至るまでの民主化運動は、このような徹底した反省と断固たる試練から出発したものです。・「おしんに感じた論語的世界」。1980年代のもう1つとの潮流は「親日ムード」でした。改革開放政策に舵を切った鄧小平政権は、日本の「カネと技術」を欲していました。日本からのODAがどうしても必要だった。日本はその手に乗ってすっかり騙されました。2020年3月にODAは終了しましたが、総額は3兆6600億円にのぼります。外国文化も解禁されるようになりました。「おしん」の世界は、私が子供のころ、祖父のたたずまいから感じ取った「古き良き中国」を発見したと思います。・「酒を片手に啓蒙活動」。1984年、私は北京大学を卒業しました。就職先は共産党によって決められます。私は四川大学の助教授になりました。「民主主義理念の啓蒙」をする絶好の機会でもありました。教室ではできませんかが、大学生の寮にまで行きました。ある日突然共産党支部に呼ばれて、支部長から「厳重注意」を受けたのです。そんな折、日本留学している高校時代からの親友の王君から、国際電話で留学を誘われました。日本の大衆文化に魅せられていた私は大歓迎。早速手配に動きました。とはいえ私の貯金では用意できたのは安い料金の船に乗る旅費がせいぜい。日本での生活費はアルバイトで稼ぐしかありません。いろいろなアルバイトを経験しましたが、イヤな思いをしたり、差別されたりと感じたことは1度もなかった。・「司馬遼太郎の作品を通じて日本人精神に触れる」。大学の勉強ももちろんですが、本もむさぼるように読みました。とりわけ気に入った作家が司馬遼太郎さんの小説です。特に「坂の上の雲」の好古の、質素な生活を貫き、大義のためには命も投げ出すことも厭わない、まさに武士道の精神が印象に残っています。・「語ることができない、あの事件」。1989年に、民主化運動に理解を示した、胡耀邦前総書記が死去しました。彼の死をきっかけに国内の民主化運動が一気に爆発しそうな勢いになりました。北京の天安門広場では、連日デモや抗議活動が行われ、やがては100万人規模まで膨れ上がりました。そして、6月4日に惨劇が始まりました。解放軍の銃弾に学生たちは次々に倒れていった。おびただしい血が流れましたが、正確な犠牲者の数は今もわかっていません。私たち京阪神に住む中国人留学生たちは大阪市内の中国領事館に抗議のために駆け付けました。デモや集会の人数は数千人もなりました。・「中国は共産党の道具」。民主主義の理念と民主化運動が、一瞬でも共産党の独裁体制を脅かすような事態になると、鄧小平も政権党もすぐさまその本性をむき出しにしました。共産党は毛沢東時代の共産党と何も変わらない、暴虐な怪物に戻ったのです。

3章 私の半生〈2〉─悲願の日本への帰化そして日本人の自信を取り戻すために。1995年に大学院を卒業。中国の大学と交流のある京都市内の民間の研究機関に勤め始めます。そこの仕事を通じてたびたび中国にも出張する機会が増えました。国内で合った中国人が日本のことを口にするときに、誰もが憎しみの感情をむき出しにして、軽蔑と敵視の感情をむき出しにすることに驚きました。・「日本人は人を喰う野獣」。上海にある一流大学の研究者は書物で「日本は最も危険な軍国主義国家である」と論じ、全書を通じて「野獣」とか「悪魔」という言葉を乱発し「野獣はいつの日か必ず人を喰う」と結論に達していました。「日本人野獣論」です。・「原子爆弾で日本を滅ぼせ」。食事会や社交界や友人同士の集まりなどで、私という「日本帰り」が同席していると、必ず一度は話題が「小日本」のことに移ります。「原子爆弾でも何発か使って、日本を地球上から抹殺すべきだ」「原子爆弾だけではだめだ。一人ずつ殺したほうがいい。東京大虐殺する時は、俺の腕前を越せてやる」「日本人はそもそも進化が遅れている人種ではないかしら。半分は豚なのね。人種進化の不良品だわ」「日本に攻め込んで全員殺した後に、日本を中国人の養豚所にしよう」。それでみんな一斉に大爆笑してクライマックスを迎えます。・「ルビコン川を渡り執筆活動の道へ」。2002年のデビュー作「なぜ中国人は日本を憎むのか」はあまり売れなかった。当時の中国の「反日」の実態をこれほど精君いた本はなかったでしょう。新聞、テレビ、雑誌などのメディアで取り上げられることもなかった。それでも私はもう戻るわけにはいかない。私は資料を徹底的に調べて、それをわかりやすく書く。「噂」や「裏が取れない話」は書かない。・「え、こんなに簡単に帰化ができるの」。2007年に日本国籍を取得しました。そこで私は大いなる疑問を覚えたのです。日本の法務当局が帰化申請で気にするのは、経済的基盤や犯罪歴の有無などです。思想信条は問われません。もっとも大事なことは「日本のことをどう思っているのか」とか「何のために帰化するのか」とか「日本人になって国家に忠誠を誓うのか」ということは全く聞かれないし、帰化の条件にならない。これは国家として異常なことだと思いました。約一年後に無事に帰化申請が認められました。勇んで出かけた法務局で案内されたのは殺風景な一室で、そこには日の丸も飾られていないし、君が代も流されていない。事務的な説明がわずか5分で終了。携帯電話の手続きでも、もっと丁重に説明してくれるだろうと思いました。・「なぜ天皇家は万世一系となりえたか」。私が日本に来たのは1988年。翌年1月、昭和天皇が崩御され、昭和から平成に代わりました。昭和天皇の「大喪の礼」、今上天皇の「即位の礼」などの一連の国家的儀式が、完璧な古式に沿って厳かに行われるのを見て、深い感動に包まれたことを今でも記憶しています。歴史の大半において皇室は政治権力に執着がなかった。時の権力に対して、常に超然たる立場に身を置いてきたことが、天皇家が「万世一系」の天皇家となりえた最大の理由ではないでしょうか。いくつかの例外を除けば、天皇家の地位は政治権力の交代とは何の関係もない「雲の上」にある。京都御所の質素さと無防備さこそは、日本の皇室の強さの象徴でもある。日本という国を「わがもの」にしようとするような私欲もなければ、権力に飛びついて一族の「栄達」を図る必要もない。質素な生活に甘んじながら、日本国の安泰と民の幸福を一心に祈る祭司的な役割に徹したのです。そのことによって、皇室は日本にとって欠かせない重宝となり、民たちからはいつも慕われる身となりました。・「皇室を持つ日本人の僥倖」。万世一系の皇室があるからこそ、日本は中国が経験したような「易姓革命」という王朝交代を必要としないのです。それゆえに日本民族は王朝交換の長期間の戦争と動乱と殺戮の悲運を免れています。そして、日本民族が存亡の危機に瀕した時に、かけがえのない救世主としての役割を果たしてきました。超越的な存在としての無私無欲の皇室を持つことは、まさに日本民族の幸運であり、日本歴史の僥倖ともいえます。私は一人の「愛日主義者」として日本皇室の天長地久と、日本民族の永遠の繁栄を願います。思えば、皇室の存在を含めた素晴らしい伝統を持つ美しい日本に来たことは、私の人生にとって最大の僥倖でした。もし、人生の終焉の時に「遺偈(ゆいげ)」を書くとすれば、次の一言だけを言い残したい。「日本に来て本当に良かった」。・「西郷隆盛や楠木正成のようにありたい」。日本は先の大戦に敗れ、GHQの占領政策によって、それまで築いてきた精神や伝統をことごとく否定されてしまいました。たとえば「教育勅語」。そこにあるのは、普遍的でごくごく当然のことです。親への孝行、夫婦円満に暮らすこと。人への慈愛や学問に励むこと。それらが世のためになる。と書かれている。これのどこがいけないのでしょうか。今こそ大切にすべき価値観ではないでしょうか。多くの日本人の生き方の中で、私がもっとも魅力を感じたのが、明治維新の元勲、西郷隆盛です。彼ほど武士道精神を貫いた人物はいない。南北朝時代に南朝方として戦った楠木正成もある意味西郷と似ています。・「どこまでも信念をもって伝えるべきことを伝える」。今は3人家族です。子供には何よりも「立派な日本人」になってほしいと願っています。礼儀をわきまえ、美しい心を持ち、大きくなれば日本のために力を尽くす人間です。ただし、それだけでは十分でありません。日本人が古来大切にしてきた精神や美徳、価値観といったものをしっかり学び、身につけてもらいたい。だからこそ、中国の将来を知らず、目先の利益のために甘い態度をとる政界と財界には歯がゆい思いをするばかりです。日本人は中国の正体に一刻も早く気づいてもらいたい。
・宮崎正弘氏(国際政治評論家、作家、ジャーナリスト)による『敵は祖国・中国』書評。石平は帰化が認められ欣喜雀躍して法務省へでかけると、そこには日の丸もないし、君が代を唱う必要もない。事務的な説明が淡々と行われ、あっさり終わった。こんなことでよいのか、ならば一人で帰化儀式をやろうと石平は伊勢神宮に参拝し、日本のふるき神々に報告したという。「正装して五十鈴川の宇治橋をわたったときの清々しい気持ち、玉砂利の道を歩き、内宮へ一歩一歩と向かったときの感激は、今でも忘れられません」。このように個人的な神聖なプライバートセレモニーを行った稀有の新日本人に対して、ネットでは石平スパイ説が飛び交った。このフェイク情報の狙いは石平の影響力をそぎ落とすことであり中国大使館筋と与党内の親中派が流しているのである。
・https://www.youtube.com/watch?v=W9IEx_2gXEg 中国で内戦勃発?習近平vs張又侠、解放軍トップが失脚|今、何が起きているのか?「こうした視点はなかったです」

・2.1. 前川喜平氏が過激宣言「国旗損壊罪できたら紙に赤い丸を書いて毎日破ってやる。捕まえてみろ」。高市早苗首相は同24日、ネット番組で行われた党首討論において、日本国旗を侮辱目的で傷つけるなどする行為を処罰する「日本国国章損壊罪」の創設にふれ「必ず実現したい」などと意欲を示した。また、同27日の衆院選(8日投開票)公示日に行った都内の演説でも日本国国章損壊罪の創設への意欲を例に挙げながら「衆院の法務委員会の委員長は残念ながらよその党(中道改革連合)の人だ。法案を出しても審議をしてもらえない」と不満を口にし、「内閣として出したかった制度も、国会であきらめざるを得なかった。いろんな政策で、そういうことが起きている」と少数与党の現実に言及していた。「お好きにすればいいと思いますよ。絶対に捕まらないという確信があってやっていると思いますので。ですが、国旗損壊罪の是非は置いといても、表現の自由の下に進んで日本国旗を損壊したいとは普通の人は思わないんじゃないんでしょうか。結局、前川さんにとって日本国旗はその程度の存在だということを世間に露呈しただけだと思いますので。」「何をそんなに意固地になっているのか。他国の国旗を毀損したら犯罪、日本国旗も同じ。それだけの事。ここまで過剰な反応はおかしいと思う。」「元文科次官という、教育のトップにいた人が「捕まえられるものなら捕まえてみろ」なんて、いい大人が交番の前でやることですか。」「かつて出会い系バー通いを「貧困調査」と言い張った時もそうでしたが、この方は結局、自分の行動を正当化するために無理な理屈をこねる癖があるように見えます。反対意見があるなら言葉で論理的に語ればいいのに、わざわざ国旗を破るという過激なパフォーマンスを予告して挑発するのは、あまりに幼稚で品位に欠けます。」「天下り問題も含め、法の網を潜り抜けてきた自負があるのかもしれませんが、自分たちの国の象徴をあえて傷つけるような行為を誇らしげに語る姿は、多くの国民には到底受け入れられません。教育行政に関わった人間として、もう少し謙虚に、そして子供たちに恥じない言動を心がけてほしいものです。」「国旗に敬意を持つのは当たり前のこと。それが日本という国を大切に思い、愛することにもつながります。このような考えの人が、かって文部省のトップだったことが驚きです」

・1.31. 社民・ラサール石井副党首、サナエ推しの若者は「自民党が何してるか知らなくても入れちゃう」。社民党副党首のラサール石井参院議員(70)が1月31日、東京・品川駅で行われた演説会に登壇した。同党の国会議員が現時点では福島瑞穂党首と石井の2人だけということもあり「われわれも絶滅危惧種でございます」と自虐コメントで笑いを誘った。さらに「高市政権ね。今なんかいやに人気がありますけども、これは皆さんね、緩やかにだまされているだけです。なんかイメージで面白いとかかわいいとかねそんなことだけで人気投票みたいに入れてはいけませんよ」と指摘した。「選挙は2択ですと断言してますけど、具体的な政策は一切示されてないんですよね。「戦争か平和か」「差別か非差別か」なんて、正義っぽい言葉を並べるだけなら小学生でも言えます。社民党が政権を担った場合、経済はどう回すのか、外交はどうするのか、エネルギーや少子化対策はどうするのか。一番大事な「運営の話」は全部スルーなんですよ。さらに問題なのは、「若者は政策も知らずに雰囲気で投票する」と平然と言ってしまう点。それを70歳の現職議員が口にして、「我々は絶滅危惧種です」と自虐で笑いを取る。いや、それ支持が広がらない理由を自分で解説してるだけですよね。結局、若者を見下しながら説教すれば票が入ると思っている時点で、もう時代に置いていかれていますよね。政策を示せない政治家から真っ先に選択肢から外されるのは、陰謀でも洗脳でもなく、単なる必然だと思うんですが。」「衆議院選は総理選出の「政権選択選挙」になります。アメリカ大統領選挙は、各州で代表者に投票し、州の総取りの制度。日本の場合は、衆議院の小選挙区で投票し、そこに比例代表を入れてそこで総理を選出する制度。高市と野田のどちらが総理に相応しいかを選択し、その結果、衆議院で過半数を得て、総理に選択されるのだが?」「何か言っても具体性に欠け私見を言ってるに過ぎない。差別、戦争?差別と言う言葉で相手責めている事も相手側から見たら差別。要は立ち位置で決まる。最近の論調はそれは違うと言うと差別だと言われる。区別と差別の曖昧な部分が余計複雑化。戦争はしたく無くとも相手が攻めてくれば防ぎようがなく始まってしまう。対話だけで防げたら今まで世界のどこでも紛争は起きてない。攻め込んだらやられると思わせる抑止力としての軍備は必要なのでは?」
・2.1.安住氏、中道は「首の座っていない赤ちゃん」 高市政権は「憎悪を引き出しエネルギーに」。立憲民主党と公明党が1月22日に結党大会を終えた「中道改革連合(中道)」の安住淳共同幹事長は同30日、東京都内で衆院選の街頭演説を行い、中道について「まだ生まれて8日で、首も座っていない赤ちゃんだ。ぜひ大切に育てていただければありがたい。必ず勝ちますから」と訴えた。「よく分からない風に流されて『高市さん、素晴らしい』などとやったらとんでもないことになる」とも語った。安住氏は、地方経済における外国人労働者の必要性に言及し、「寛容な気持ちなく『外国人なんか排斥しろ』といって拍手喝采して日本に未来はあるか」と指摘し、「ルールは作るが、ちゃんと共生して、日本の社会をチームジャパンとして、育てていこうというのが中道の考えだ」と強調した。「中道改革連合の安住淳氏が、高市政権は『憎悪を引き出しエネルギーに』」と見解を述べていますが、抽象的な言葉で与党を批判しても評価されないということを認識するべきではありませんか。表現を変えるならば、立憲民主党と公明党が新党を結成したのは、有権者の観点からしますと、国民の利益よりも自分たちの利益、つまり「議席数」を優先したとも捉えられるのではないかと思います。」「自らの言動を振り返ることなく、他人(政権与党)を批判するという二重基準を改める必要があるのではないかと思います。それは、安保法制や原発問題などで、自分たちの主義主張を180度転換したという事実を見れば明らかです。」「「寛容な気持ちで共生を」。言葉としては美しい。だが現実は、そんな標語を掲げている余裕があるか?地方で起きているのは人手不足と同時にルールを守らない一部の外国人によるトラブル治安不安、制度の歪みだ「誰と共生するのか」という問いを飛ばしたまま、拍手が欲しい言葉だけを並べるのは政治ではなく説教に近い。寛容とは無条件の受容ではない。法を守る者と守らない者を分け、違反には毅然と対応する。その上で守る者とは支え合う。それを語らず「排斥か寛容か」の二択にすり替えるのは、現場で我慢を強いられている日本人への想像力の欠如だろう。一方で「分断を煽る政治」と他者を批判しながら、自分たちは「正義の側」に立っているかのような物言い。ルールを守らない行為への不満を口にすることまで「排外」と切り捨てれば、残るのは沈黙か反発しかない。赤ちゃんのような理想論では社会は回らない。共生とは覚悟と線引きの話だ」

<余談> 私は研修講師やコンサルタントをしていますが、お客様からご相談いただいたときは、最初にお客様のホームページから、企業理念やトップのメッセージを見ます。お客様が何を目標として、どのような会社になりたいかと思っているか知るためです。すべてのものは目標が重要だと考えています。教育でもそうだと思っています。「教育理念」はあるのでしょうか。私は見たことも教わったこともありません。教育を通してどのような「日本人を育成したいのか」目標が明示されていません。「教育理念がない国家」は「理念のない国家」に繋がります。過去には「教育勅語」がありました。これを口語調にして現代風にアレンジすれば、「ありたい日本人の姿」になると思います。「日本人は、国中の人々が皆心をひとつにして代々美風を創り上げてきた。これは、日本の国柄の最も優れた点であり、教育の根源もここにある。日本人は、父母に孝行し、兄弟姉妹は互いに仲良くし、夫婦は互いに睦みあい、友人はともに信じあい、他人に対しては礼節を守り自分自身には慎み深くし、慈愛を広げ、学問を修めて実業を習い、それにより知識を広め道徳性を高め、進んで公共の利益を拡大して世の中に必要な事業を興し、常に憲法を尊重して法律をよく守り、もし、緊急事態が起こった場合は、人として守る正義により国家に尽くすことによって、尽きることなく永遠に続く日本に身を捧げるべきである。これは、祖先が残した美徳を広く示すことになろう」。教育勅語は、正式名称を「教育ニ関スル勅語」といい、近代日本の教育の基本方針として明治天皇が下したものです。全文は315字で構成されています。教育勅語は、1890年(明治23年)に明治天皇が発布した教育の基本方針と国民道徳の基準を示した勅語です。忠君愛国などの徳目が示され、戦前の学校教育で国民に浸透されましたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に廃止されました。

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