人生は修業の場 LM64

斎藤一人さんの言葉の中で、「人生は修業の場」という言葉が、強く印象に残っています。人生で、上手くいかない事、苦労する事が起きるのは、魂を成長させる為に起きると言っています。仕事や人間関係などの様々なトラブルが起きるのは、魂の修行の為です。僕は怠惰な人間です。できたら楽をして過ごしたいです。でもやる事が全て上手くいって、何も苦労しない人生(そんな人生が有るわけがないですが)だったら、僕は今以上に自堕落で、どうしようもない人間になってしまいます。修業とは魂が成長する為のプロセスです。

福島正伸先生は、講義の中で「苦労や、困難や、苦しみの後ろには、感動がついてきている」と言っています。ストレッチで「今までの人生の中で感動をした体験を思い出してください。」「その体験の前には、必ず大きな困難があったはずです。」確かにそうです。「ビリギャル」のように今の自分の実力ではとうてい無理な受験でも、並外れた努力によって合格した時には、大きな感動待っています。努力もしないで大學受験に合格しても、感動は味わえません。子供のころ、初めて自転車に乗れた時に嬉しかったのは、さんざん倒れて上手く乗れなかったからです。感動することができないなら人はだれも努力しません。苦労の末に上手くいけば、人は感動するように出来ています。苦労が感動を呼び成長に繋がります。全ての出来事が修行です。

自分の人生を振り返った時に、当然、良いことも悪いこともありました。でも良いことがあった時には、調子に乗って油断して失敗したりします。僕の成長には繋がりません。でも苦労したことは、その時は苦しいですが、何とかなった時には嬉しいですし、僕の成長に繋がっています。苦労は何の為にあるかというと、苦しむ為ではありません。魂が成長する為です。苦労している時には、そんな心の余裕はありませんが。少し俯瞰して自分を見れば。自分の過去の経験を振り返れば、思い当たることがあるはずです。自転車に初めて乗れた時の喜びは誰でもが経験しています。

昨日たまたま、宇崎竜童さんの「生きているうちが花なんだぜ」を知りYouTubeを見ました。初めて聞きましたが感動しました。あとギターの人めちゃくちゃ上手です。辛い事、悲しい事は、人生には付き物です。でも楽しい事、嬉しい事だって、直ぐには無いかもしれませんが、いつかは必ずあります。喜びも悲しみも全ての経験は生きているからこそ出来ます。人生に苦しいことが9割で、楽しいことが1割でも、その1割のために、人生は生きる価値があります。頑張れば苦しいことの9割が、いつかは好転します。その経験が修行となって、魂の成長につながります。

病気の人は健康な体になれるなら、いくら払っても良いと思っています。余命短い人は、若くなれるならいくら払っても良いと思っています。それを捨てる人がいるならば、もし可能なら譲ってほしいと願っている人は沢山います。多くの若者はその二つの宝物を持っています。失うかもしれないものより、はるかに素晴らしいものを今現在持っています。今一度自分が持っているものの価値を確認してください。大抵のものは失ったとしても取り戻せる可能性があります。さらに良いものを得られる可能性だってあります。将来得ることができる物の可能性は無限です。悩んでいる人の気休めにすらならないですが、僕も頑張るから、一緒に頑張ろうと言いたいです。未来は光り輝いています。僕は未来に凄く期待しています。生きてさえいらえれば成長できるチャンスがあります。

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