久能山東照宮 LM103

コロナを契機に、断捨離を始めようとしましたが、遅々として進みません。「気の小さな人」は、もし使う時が来たらなどとあれこれ心配してしまい、思い切って物が捨てられないのだと自己分析しています。それでも少しずつは捨てています。書類を整理しているときに、20年以上前に行った「久能山東照宮」のパンフレットが出てきました。掃除のあるあるで、つい読み始めてしまいました。
久能山東照宮は、静岡市駿河区根古屋に所在する神社です。「久能山東照宮」ができる前には、今から約1400年前、推古天皇がいた奈良時代に久能寺というお寺が建てられました。戦国時代には、武田信玄公が「久能城」を築城。その後1616年4月17日、75年の生涯を閉じられた家康公の遺言によって、徳川家の守護城になっていた久能山へ遺骸を移し埋葬されました。社殿には、真ん中が徳川家康公、右手が豊臣秀吉公、左手が織田信長公の3人が一緒にお祀りされています。「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」と遺言を残されました。
僕は東京生まれです。父もそうでした。ご先祖様のことは聞いたことはありませんが「代々江戸っ子だ」と言っていた記憶があります。首都に住めるのは家康公のおかげです。征夷大将軍となった家康公が、本格的な江戸城改修に取りかかりました。戦国時代の江戸城は、太田道灌が築いたもので、家康公が1590年に入城した時は、規模が小さく貧弱な城でした。目の前には、日比谷入江と呼ばれる浅瀬が江戸湾から入り込んでいました。それを天下普請(てんかぶしん)と言われる、全国の諸大名に命令して大規模な土木工事を行いました。道路整備や河川工事などインフラストラクチャー整備も行いました。最初の頃の江戸は人口も少ないですから、三河から多くの人が移住しました。仕事で住んでいたこともありますが、愛知や静岡の人に親近感を感じます。遺伝子が近い気がしています。
パンフレットに「東照公御遺訓」が載っていました。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」
この言葉は、前から知っていましたし当時はパンフレットでも読んだはずです。その時は、聞いたことのある言葉ぐらいで何も感じなかった気がします、今回読み返して、心に響きました。僕は人に経験談として話せるような苦労も、人に誇れるような努力もしてきていませんが、それでも昔読んだ時とは違う感慨があります。コロナのせいかもしれませんが、その変化が年を経て、経験を積むことで、知識が増え感受性が豊かになり、少しは思慮深くなったせいなら嬉しいです。年を取ることで、体力が無くなり、記憶力が衰えるだけなら、悲しすぎます。
久能山は、富士山から流れる強い龍脈が、駿河湾で逆流して石段を勢いよくかけ昇り巡回する「昇龍・回龍」の地形のパワースポットです。訪問したときには、霊気を感じました。久能山下から続く1159段の石段や境内からは、駿河湾を一望できます。出世運や上昇運、現状を変えるパワーをもたらたしてくれます。パワースポットマニアとしては運気を良くするために訪問したいのですが、交通のアクセスが少し悪いのが難点です。

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