フェア LM68

アメリカの刑事ドラマで、たたき上げのベテラン刑事が、部署の責任者になれるかと思っていたのに、他部署から上司が配属された時に、その刑事は、能力も実績もあるのに昇進できなかったことに「フェアじゃない」と不満を言っていました。確かにそれだけの能力はありました。ただ、組織としてどちらが適任かというと、新任の上司のように感じました。その人が上司に退職をほのめかした時に、上司は「長い刑事生活の中で、フェアでない世の中をたくさん見てきたのではないですか?退職するのは自由ですが、フェアな職場が見つかるまで、今の職場で働いたらどうすうか?」と言いました。こうした発言が出来るのは優秀な上司の証明です。その刑事は、セラピストから「人生、周りを変えたいのなら、まず自分が変わらなければならない」と指摘されています。よく聞くセリフですが、その通りです。ドラマでは同じ職場で力を発揮しています。

自分がフェアでないと思っていても、周りから見ればフェアなのかもしれません。会社勤めをしていれば、昇進昇格は重大事です。「なんで実績が劣っているあいつが先に偉くなるのだ」とか、「あいつは上司へのゴマすりで偉くなった」とか、そんな話題は居酒屋での定番です。仮にもしゴマすりで偉くなったとしても、その人はその努力をしてきたのだと今では思えます。僕にはその能力がありませんでした。前にコンサルタントの人に「組織では自分で偉くなることはできない。上司に上げてもらうしかない」と言われました。言われてみればその通りです。偉くなれなかったのは、周りから見れば、結局は能力不足であり努力不足の結果です。そういう意味ではフェアです。

フェアな世界が理想ですが、そもそもフェアな世界などは絵物語です。フェアな世界があるとすれば、どのような世界なのか僕にはイメージできません。マスコミでは、日本は格差社会がひどくなり、派遣などへの不公平な対応が常習化していると取り上げられています。お金持ちがよりお金持ちになる社会です。それを否定できませんが、そんな社会は人類が農耕を始めた何千年も前から存在しています。エジプトでは紀元前4000年前にはすでに王様がいました。

今現在、世界を見たときに、飢餓で命をなくす人も大勢います。国が戦争をしていて、住むところを失った人も大勢います。自由に発言することもできずに抑圧された生活を送っている人も大勢います。そんな人々から見たら、今の日本は天国のような国かもしれません。同じ時代の同じ地球に生れてきたのに、たまたま生まれた国が違うだけで苦しい人生を送るのはフェアではありません。

8月15日は終戦の日です。僕は戦争の経験はありませんが、父や母の青春時代は戦時中でした。その時代の話を聞いたことはほとんどありませんが「食べるものが無くて、お芋の茎を食べていた」と母が言っていたことは覚えています。母の父も兄弟も戦死しています。父母と比べたら、戦死の心配もない何の苦労もない時代に生れてきた息子は、フェアではないです。父母は息子がそんな時代に平和を過ごしせることを喜んでくれていると思います。

フェア(公明正大)であろうとすること、フェアな社会を望むことは正しいです。でも人のできることは、今の環境で最善を尽くすことです。今の世界を見れば、日本に生れたことは、多くの選択肢とチャンスがありラッキーです。それを生かすも生かせないのも自分次第です。

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